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1403年
明の航海手引書「順風相送」で釣魚嶼について触れる。

1722年
清の公式文献「台海使槎録」で釣魚台を海防の拠点・交通の要衝として挙げる。

1879年
日本、琉球諸島を占領。

1885年
日本、釣魚台列島の占領を企て、のち見合わせる。

1895年1月14日
日本は閣議決定を行い、沖縄県による釣魚台での国標設置を許可。対外的発表はなく、天皇による勅令発布の慣例にも従わなかった。

1895年4月17日
日本、甲午戦争(日清戦争)での清の大敗に乗じて釣魚台列島を掠め取り占領。

1900年
日本、釣魚台列島を「尖閣諸島」と改名。

1945年
日本、第二次世界大戦で無条件降伏。「降伏文書」(Japanese Instrument of Surrender)に従い、日本の領土は本土四島に限定。琉球は米軍に統治され、釣魚台列島もこれに組み込まれたが、我が国の国民による利用は妨げられなかった。

1968年
「国連アジア極東経済委員会」(ECAFE)が黄海および東シナ海海域で6週間にわたる地質調査を実施、アジア各国(中華民国、日本、韓国等を含む)が科学者を派遣。その結果、釣魚台列島付近の東シナ海大陸棚に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が指摘される。

1969年7月
中華民国政府、大陸棚についての主権と権利を主張、該当海域での石油探査・採掘計画に着手。

1970年7月
日本、我が国に対し外交ルートを通じて関連海域における中華民国の海底油田等の権利を否定、我が国がこれに厳正に反論し、対立が起こる。このあと両国政府の外交部門は幾度も立場の表明を行い、論争が熱を帯びるにつれ、アメリカ、中国大陸、琉球政府がこれに巻き込まれる。

1970年8月
蒋介石総統は1958年に採択された国連の「大陸棚条約」を批准、9月には「海域油田探査・採掘条例」が公布され、台湾海峡および東シナ海において海底油田採掘区を策定、海外企業7社と契約、資源探査が開始される。

1971年6月
アメリカは日本が琉球に対して、いわゆる「潜在主権」を有すると見なし、日本と「沖縄返還協定」(Okinawa Reversion Treaty)を締結、1972年5月に琉球を日本に「返還」し、同時に釣魚台の「施政権」も日本側に引き渡すとしたため、国内外の華人の猛反発を招く。

1972年
アメリカ、釣魚台列島の施政権を誤って日本に「返還」。

1972年5月9日
中華民国外交部は、アメリカが5月15日に琉球諸島を釣魚台列島とともに日本に引き渡すとしたことについて声明を発表、「中華民国政府は釣魚台列島および琉球の施政権のアメリカから日本への『返還』に断固反対する。中華民国政府は領土保全の神聖なる責務を全うすべく、釣魚台列島の領土主権は決して放棄しない」とした。

1978年
日本の右翼団体「日本青年社」、釣魚台に灯台を設置。

1979年5月
日本、釣魚台島に臨時ヘリポートを建設。

1990年9月29日
日本の海上保安庁、釣魚台の灯台を正式な航路標識として認める。

1990年10月
高雄で全国スポーツ大会が開催され、林中森高雄市政府秘書長が大会の聖火リレーを船で釣魚台海域まで届ける。

1996年7月20日
日本が200カイリの排他的経済水域を画定した際、釣魚台を日本領土の扱いとしたため、各界より激しい抗議の声が上がる。

1996年8月
中華民国と日本との間で1回目の漁業会談が開かれ、双方の排他的経済水域の重複が原因で起こる漁業問題について会談が行われた。わが政府は釣魚台列島についての中華民国の主権を明示し、我が国の厳正な立場を明確に示している。

1996年9月
我が国は釣魚台列島の主権を守るため、省庁を超えた「釣魚台案件対応チーム」を設置。これにおいて、 1. 我が国の釣魚台列島に対する主権主張を堅持する 2. 平和的・理性的な手段で対応に当たる 3. 中共とは協力しない  4. 漁業者の権益を優先する、という4原則を確立し、釣魚台列島の主権に関わるいかなる問題に対しても、これに基づき対処するとした。

1999年2月10日
中華民国行政院、「釣魚台列島領海基線」を公布。

2005年6月
日本の公船が釣魚台列島近海で我が国の漁船に対し、頻繁に拿捕及び強制退去等の措置をとることでその操業を妨害、漁業者の生計に影響。その結果、重大な海上衝突に発展。この事件を受け、立法院長、国防部長、立法委員を乗せた軍艦が釣魚台海域を巡回、主権を顕示した。

2005年8月17日
わが国内政部は近隣諸国の国連への大陸棚伸長申請への対応として、行政院に「大陸棚調査5年計画」を申請、これが承認され、2006年7月より実施となる。

2008年6月10日
台湾の遊漁船「聯合号」が釣魚台付近の海域で日本・海上保安庁の公船に船体をぶつけられ沈没、同船の船長が拘束された事件で総統府は速やかに声明を発表して釣魚台主権防衛の姿勢を強調。また、欧鴻錬外交部長はただちに駐中華民国日本代表に対して厳正な抗議を表明、船長の解放と謝罪・賠償を日本側に要求。

2010年8月
釣魚台海域付近での日米合同演習や、日本衆議院安全保障委員会のメンバーによる航空機からの釣魚台視察などの事件を受け、中華民国外交部は釣魚台列島に対する主権についての一貫した立場をあらためて主張、台北駐日経済文化代表処を通して日本側に抗議の意を表明。

2012年4月18日
石原慎太郎東京都知事が東京都による釣魚台購入の構想を発表。

2012年8月5日
馬英九総統が「東シナ海平和イニシアチブ」を打ち出し、関係各方面に対し、対立を煽らぬよう自制を求め、論争は棚上げし、対話の継続を諦めず、国際法の順守と平和的手段で争いごとに対処すべきだとし、合意形成のための「東シナ海行動規範」を定め、共同で東シナ海海域の資源開発を行うメカニズムを構築すべきであると呼びかけた。

2012年9月7日
馬英九総統が釣魚台からわずか140キロメートルの彭佳嶼を就任以来初めて視察。台湾・日本・中国大陸で釣魚台問題解決の方策を話し合うことを提案。

2012年9月10日
日本政府、閣議で釣魚台列島三島「国有化」の方針を正式に決定。この後、地主と購入契約を交わす。

2012年9月11日
楊進添外交部長、日本側が釣魚台を「国有化」したことを非難、抗議。沈斯淳駐日代表に帰国を命じるだけでなく、駐台日本代表も出頭させ、日本側の決定撤回を要求。

2012年9月24日
台湾東北部・宜蘭の漁民を中心とする民間の釣魚台列島保護活動「生活のため漁業権を守れ」で、数十隻の漁船が南方澳漁港を出港、釣魚台海域に向かい、海巡署は艦船10隻以上を出動、護衛を行う。

2012年10月5日
日本の外務大臣玄葉光一郎が台湾市民へ向けてメッセージを発表。釣魚台問題を「懸案」と形容、対立がエスカレートすることのないよう望むとともに、「東シナ海平和イニシアチブ」と「推進綱領」は平和安定重視の基本的な考え方と精神を体現したものだとし、漁業交渉の早期再開への希望を表明した。

2013年4月10日
台北にて台湾と日本が第17回漁業会談を行う。会談後「台日漁業取り決め」を締結、北緯27度以南かつ八重山諸島と宮古諸島以北の水域と定め、台湾の漁民のこの水域での権益を獲得、確保し、操業が可能な範囲も4,530平方キロメートル拡大。

2013年5月7日
台北にて第一回台日漁業委員会が招集され、双方の制度化された協議メカニズムの構築を通じて、引き続き関心事項について協議を行うことで一致。

2013年12月26日
東京にて第二回台日漁業委員会が招集され、双方の漁船の操業状況および規則等について議論。また、早急に第三回台日漁業委員会を開催することに合意した。

2014年1月23日
台北にて第三回台日漁業委員会が招集され、「台日漁業取り決め適用水域における漁船の操業規則」を制定。マグロのはえ縄漁業に関する規則および、これまでに協議した共通認識を規定として盛り込み、作業方法が異なる台日双方の漁船が、同水域においてのトラブル発生を回避するものである。

2015年3月4日
東京にて第四回台日漁業委員会が招集され、台日双方の漁民が関心を寄せている「台日漁業取り決め」適用水域内の八重山諸島以北の逆三角水域および特別協力水域内での操業規則等の見直しを行う。

2016年3月2日~4日
台北にて「第五回台日漁業委員会」が招集され、台日双方は2015年の操業規則を維持することを決定し、その他の関心事に関しては、別途協議することとした。

2016年5月20日
蔡英文総統が就任演説において、「東シナ海、南シナ海の問題に対しては、争いを棚上げし、共同開発を主張する」と表明。

2017年3月1日~3日
東京で「第6回台日漁業委員会」が開催され、漁船が協定適用水域において安全、安心に操業するためのルールなどについて台日が協議。双方は、各々の漁船に対して、「船舶自動識別装置(AIS)」装備や船主責任保険加入を指導することで合意した。

2018年3月15日~16日
台北で「第7回台日漁業委員会」が開催され、台日双方は、特別協力水域について、現行の操業方法を維持することで共通認識を得た。また、「台日漁業取り決め」の互恵協力の趣旨、漁業資源保護の精神に基づき、八重山北方の三角水域における操業ルール修正で合意した。

2019年3月5日〜7日
東京で「第8回台日漁業委員会」が開催され、台日双方は「台日漁業取り決め」の適用水域での操業ルールや「船舶自動識別装置」(AIS)、船主責任保険などの議題について意見交換を行った。台湾側は適用水域外の、互いの排他的経済水域が重なる範囲での操業の問題についての台湾の立場を改めて日本側に伝えた。双方は率直な意見交換を経て、「台日漁業取り決め」の互恵協力の趣旨と漁業資源保護の精神にのっとり、漁期到来の前に引き続き協議を開くことで合意した。